Empty,and Flower
鳥本采花 TORIMOTO AYAKA
2024 . 11 . 7 thu - 12 . 22 sun
12:00 - 19:00
月、火 休廊 水曜日は2日前までにメールにてご予約下さい。
11/9(土)19時より、オープニングを開催いたします。
以前、同様のタイトルで一枚の絵を描きました。子供の顔が花の形で切り抜かれた作品です。
この作品は、“慢性的に感じている心の欠落を、綺麗なもので隠している”姿を表現したものです。しかしながら“心の欠落=空白”を“綺麗な何か”で埋めても、所詮虚像であり穴は埋まらず空っぽのままである、という皮肉を少しだけ込めています。この場合の空白は「親からの愛情の欠如」を意味し、後から穴埋めできる代物では無いということを暗に示しています。
私は、幼少期の母子の関係性が子の人格形成に大きな影響を及ぼすということに関心を抱いており、特に貰い受けるべき愛情が不足した場合に起こる愛着形成不全に着目してきました。年を追うごとに如実に現れてくる、時限式爆弾のような心の問題は簡単には解決できません。空いてしまった穴に、後から栄養を充填することは難しいものです。私は制作を通して、ぽっかり空いてしまった穴を埋めようと試行錯誤しています。
I have previously painted one picture with a similar title. A child's face was cut out in the shape of a flower.
This work expresses the image of a child who is "hiding a chronically felt emotional void with something beautiful. However, the irony of this work is that even if we fill in the "blank (lack of
heart)" with "something beautiful," it is still a false image, and the hole will remain empty and unfilled. In this case, the blank space means "lack of parental love," implying that it is not
something that can be filled in later.
I have always been interested in the fact that the relationship between mother and child during childhood has a great influence on the development of the child's personality, and I have paid
particular attention to the attachment deficiency that occurs when there is a lack of the affection that should be given to the child. There is no easy solution to the ticking time bomb of
emotional problems that manifest themselves as the years go by. It is difficult to fill the hole with nourishment after the fact. Through my work, I am trying to fill the holes that have been
left empty.
藪から藪へ From a Bush to Another
大東 忍 DAITO Shinobu
2024.9.8 sun - 10.27 sun
12:00 - 19:00
月、火 休廊 水曜日は2日前までにご予約ください。
9月8日 (日)18:30〜
オープニングパーティーを開催いたします!
10月26日(土)17:00 -18:00
トークイベント
大東 忍 + 畑中章宏 「藪の中に立つ方法」
ゲスト 畑中章宏(民俗学者)
藪の境目は捉え難い。草やその隙間を通り抜ける風も藪の一部ではないか。
太陽や月が藪に影に生むが、影もまた藪と言えるのではないか。
藪にはあらゆるものを含み持つような奥行きがある。藪とそれ以外の境界を
引くのではなく、藪が取り込んでいく曖昧さと奥行きを理解したい。そうし
て呼吸をするように変化し続ける藪の在り方から、風景を考える。
童謡『ちょうちょう』の歌詞に「花から花へ とまれよ あそべよとまれ」と
ある。花から花へ軽やかに飛び回る蝶は、種類によっては数千キロもの海を
渡ることもある。わたしはそんな距離を飛び回ったり渡ったりすることはで
きないが、花の代わりに藪を頼りにして、自分の持つ風景の記憶を渡ってみ
たい。時に、はるか遠くの記憶の風景を藪が引き寄せてくれる気がする。
藪から藪へ、記憶と身体が風景を渡る。